「いえいえ、結構です。またの機会で(ここでそんなにいいワインができるとは思えないんで)」そういって2度訪問を断ったまだ立ち上がったばかりのワイナリー。あれから10年、今やこのワイナリーはきらめきを放ち、評価を高め、次の一歩に歩み始めている。3度目、何かの確証を持っていたその人のもう一度のお誘いを断っていたら、ただ唇をかんで悔しくこの歩み見ていたことだろう。訪れたワイナリーから眺める素晴らしき湾の光景、海からと日本を代表する銀嶺から降りてくる心地よい風にそよぐ丘の芝。そこで味わうワインの静かで鮮烈な衝撃。そこからワイナリーの収穫祭の企画、MCにかかわって来られたという幸せ。この地に来なければわからないこと。頭や今ある自分の中だけの知識や常識で偉そうにものを言う自分を軽やかにぶっ叩いてくれる体験。そのワイナリーは富山・氷見、セイズファームという。
おそらくこれから同じように、あの時行ってよかった、10年もたってしみじみと振り返ることができるのではと、過剰で過大かもしれないけれど、あのころを思い出す場所に立った。2024年9月、陸前高田。湾を見下ろす小高い畑。その名は『ドメーヌミカヅキ』。
過剰で過大と書いたひとつの理由は、まだファーストヴィンテージを味わっていない段階だから。畑にはようやく3年目を迎えるアルバリーニョが実る。自前の醸造設備ができるのはまだこの先だ。ワイナリーを立ち上げた及川恭平さんはUターン。高校から一次産業に興味を持ち、大学ではワイン造りを視野に学び、卒業後はフランス・アルザスでの修行、ワイン商社に入社し消費者側の視野も含めて見聞を広げ、陸前高田に戻ってきた。ワイン造りの道同様、そもそも生まれ育ったこの場所で働くことは決めていて、いわばその青写真どおりに学び、歩んできた。
27歳でワイナリーを立ち上げ、そこから地元の地権者の理解と信用を少しずつ積み重ね、最初の畑を購入。陸前高田の海から山へと続く複雑な高低を利用した小さな畑。陸前高田のこの地なら、とアルバリーニョ1本に絞った。リアス式海岸の陸前高田で、スペイン、リアス・バイシャスで近年評価をさらに高めてきたアルバリーニョ。もちろん、及川さんがアルバリーニョを選んだのは僕のそんな単純な発想ではなく、陸前高田という地でのワインを考え抜いた結論だ。
そもそも僕は陸前高田の何を知っているのだろう。6,7年前になるが旅記事の仕事で1日だけ滞在したことがある。震災からの復興の中で元気に前にむかって進もうとしているカフェと居酒屋の取材だった。改めてワインという視点で陸前高田を調べ、現地で及川さんに話を聞けば、知らないことならばともかく、間違った印象と誤った知識だらけだ。あやうく氷見のセイズファームの二の舞。あの時も極寒の港町というイメージしかなかった。しかし夏の日差し、秋の涼風、春の緩やかな陽だまりを感じれば、ワイン造りに恰好な場所であることを教えてくれた。
氷上花崗岩という大陸移動説の時代から日本の一部となっていった地層、氷上山の風と広田湾のリフレクションによる日照、冬の意外に極寒ではない気候、そしてりんごやキウイなど果物栽培が盛んなことなど、聞けばワイン造り、ぶどう栽培にとって適している場所だということがわかる。もちろん適していると言っても反面では多湿やこの地でのワイン用ブドウの栽培のノウハウがあまりないことなど、適していな条件も少なくない。ただ、その天秤をかけたら、夢は大きく描ける。
こういう体験は楽しい。自分の常識があっという間に、その地の風と太陽と人のおかげでひっくりかえる。もうひとつ陸前高田のアルバリーニョに期待できるのは、ガストロノミー、もっと平たく言えばこの地ならではのうまいメシとの相性だろう。広田湾のかき、三陸の恵みの多種多彩な魚を思い描けば期待は嫌でも膨らむ。及川さんによれば地層、日照、様々な要素を考えても、海の幸にはまるワインに仕上がるし、そこを目指しているという。目指すゴールに向かって積み上げていく。そのロードマップを語る及川さんは頼もしい。
陸前高田とともに。陸前高田のために。行政や地元の方にも理解は進む。人づてから人づてへとつながり、新しい畑も広げることができた。まだ実るぶどうは少ないが、丁寧な草刈り姿だけでも譲ってくれた地主からの信頼は高まる。ワインはもちろんボトルの中で評価される。最初のヴィンテージが完成品でなくとも期待を高める、注目を集められるクオリティとなるのか? でも大きな期待感を冒頭に書いたのは、それだけじゃない。いいワインを届けてほしいというのはもちろん、ワインボトルの外の話、及川さんの生んだワインが陸前高田とともにあるのかどうか、そこにも期待したいのだ。味わったら陸前高田を思い出し、陸前高田で味わいたくなる。日本に住む我々にとっての日本ワインの一つの魅力は、そんなところにもあるんじゃないかと思う。
2つ目の畑からは広田湾の隠れ家のような入江が見下ろせる。穏やかに残暑の光を畑に届ける静かなこの海も、あのとき凶暴な濁流に変わった。及川さんはそのとき高校2年生。人生を一変させたあの日。あれから13年。陸前高田の新しい恵みや幸せをワインで届けようと格闘する日々。陸前高田と及川さんの物語がこもったアルバリーニョの結実に期待したい。もちろんワインそのもの評価はきちんと。